耳読書は読書じゃないか?

お越しいただきありがとうございます。

以前にもちらっと触れたことがあるのですが、このところ、audilbleを否定する文言をよく目にします。それもそう書かれているのはおひとりじゃない。あきらかにあとからその文言を足されていました。嫌われてるのね。今までも否定、無視されることは何度もあったので、ブログを書く以上仕方のないことだとも思っています。

ブログを書く限り、やっぱり訪問してほしい、少しでも増えればと始めた多読王国への記録。普段は常連さんが支えてくださっているこのブログも毎日やっと一定の人数の方がきてくださるまでになりました。ほんとうに地道な歩みです。

多読王国に記録するのを始めたのは去年ですが、するんじゃなかったとさえ思うことも。

冊数も自分とよく似た感じで読まれている方がいっらっしゃっいます。その方は1年で100冊本を読むということをされていて、私もやったことがあったので、私は勝手に親近感を感じています。多読王国には登録されていないようです。ブログはお仕事がお忙しいのかあまりたくさんは更新されないんですが、他の方がご自身のブログで多読に関して記事を書いたときに、その方の例を挙げて引用されていました。多読をされている方の中では有名ではないかと思います。

その100冊の内訳は忘れましたが、

audibleの方が多いという、今の私と同じパターンです。私が時間がまだあった時に100冊に挑戦したのは、半分がaudibleというものでした。

それを経て、今時間がないけど、本を味わいたいからaudibleを聴いています。audibleを楽しんでいる人は私一人ではないし、多読王国でもたくさんの方々が記録されているのが実情です。記録せずに同じことをしている人もいる、でも記録すると数字に出てしまう。忙しい中なんとか英語に触れようと自分を鼓舞するのに有効利用しているつもりでやっています。

audibleを聴いて、ちゃんと理解しようと思ったら、

それなりの英語力が必要だと思います。今だわかりにくいところは何度も聞き返したりして時間をかけて聴いています。

暗に「目じゃないとだめ」という主張に対してしんどいなあと思うし、もう記録もいいかなと思うのですが、ここまでやってきてやめるのももったいない。

そもそも、多聴は多読を広めた方々が、大々的に推奨されている方法ですよね。「多聴多読マガジン」と出されていますしね。多聴を分けるという認識がそこにあるのでしょうか?それか別に記録するという、また原則でもあるのかな?あ、私は多読でも辞書をつかったりもしますので、おこられる?多聴王国というのがあるのかな?

「多聴は別」と仰られる方々は、別にaudibleを聴いて記録されていないのでしょうか。

audibleにはaudibleの醍醐味、楽しさがあります。聴きながら涙したり、感動したりもするし、映画を観ているような臨場感もあります。

それをまるで「目で読む読書よりは二流」の扱いにすることに抵抗があります。書かれた文章をそのまま聴いているのに。聞くほうが難しい場合も多いのに。

実際にaudibleを大量に聴くことを経てドラマや映画も英語だけで理解できる度合いが増えるという体験をしています。

それは悪いことですか?

私はこれからもaudibleはやっぱり聞き続けるし、本から夢をおすそ分けをもらうことはやめないと思います。昔、「TOEIC950点ない英語教師はだめ」みたいなことにかなり抵抗したことがある私ですが、それと同じ匂いを感じています。

こんな風に肩身がせまくなってしまう、まだまだ少数派のaudiobookですが、そのうちどなたかの参考になればいいかなと思い、

やっぱりてくてく歩いて行こうと思います。

読んでいただきありがとうございました。

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